Title | [週刊朝鮮] 第2回鮮鶴平和賞受賞ジーノ・ストラーダ、サキーナ・ヤク―ビ、800万人の命を救い、3000人の少女たちを教育する | |||
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Date | 2017-01-12 | Hit | 5566 | |
File | 전경.jpg [204kb] |
[週刊朝鮮]
第2回 鮮鶴平和賞受賞 ジーノ・ストラーダ、サキーナ・ヤ ク―ビ 800万名の命を救い、3000名の少女たちを教育する ▲ (左) ジーノ・ストラーダ博士. (右) サキーナ・ヤク―ビ博士. 国連難民機関である‛2015年グローバルレポート(UNHCR Global Report2015‘によると、紛争や迫害で避難 道へと進む人が毎日3万4000名も発生している。国連難民機関に登録された難民の数は1610万人だが、日 常的に発生する変位と庇護申請者を含んだ場合、全世界の強制移住民の数は6530万人と推算される。彼 らだけで国を建てたと仮定しても、地球上で21番目に人口の多い国になるほどだ。 これらの難民は、世界の痛みとして浮上して久しい。特に病魔に苦しむ難民を治療し、故郷を離れた難 民の子供たちを教えることは、地球全体の課題だ。難民たちの基本的な人権とも言える‛医療権‘と‛教育 権’の保障の先頭に立ってきた人物がいる。全世界の難民の医師と教師と呼ばれるイタリア出身のジー ノ・ストラーダ(Gino Strada・68)博士とアフガニスタン出身のサキーナ・ヤクービ(Sakena Yacoobi ・66)博士がその主人公だ。彼らは去る11月29日、鮮鶴平和賞委員会(委員長ホンイルシク前高麗大総 長)によって第2回鮮鶴平和賞受賞者として共同で選ばれた。
鮮鶴平和賞は、未来世代の平和と福祉に貢献した個人や団体を発掘し、毎年授賞しており、単一の賞 としては世界最大規模となる100万ドル(約11億ウォン相当)の賞金を受賞者に授与する。受賞者は、20 17年2月3日、鮮鶴平和賞が開かれるソウルを訪問する。 世界の難民たちの医者、ジーノ・ストラーダ 「強くなって、もうちょっと我慢してくれ、娘よ。君は新しくなって戻ってくることができるよ。」心 臓病を発見してから2年が過ぎた後、後援者たちが募った手術費で、アフリカの少女が手術台に上がる。 手術を成功的に終えた少女の耳に医者の聴診器が当てられる。「君の心臓の音が聞こえるかい?」髪が 白くなった医師の質問に少女は明るい笑顔を浮かべる。 2013年、ジーノ・ストラーダ博士の医療救護活動を扱ったドキュメンタリー‛オープンハート‘のワンシー ンである。‛オープンハート’は、アカデミー賞ドキュメンタリー部門本選にノミネートされたことがあ る。ストラーダ博士は、イタリアの外科医として25年間、中東およびアフリカの紛争地域で命の危機に 瀕している難民に緊急医療救護を繰り広げている。 ユニセフ韓国委員会によると、ルクセンブルクでは1000人当たり2人の子供が5歳前に死亡するのに対し 内戦で血塗られたアフリカのシエラレオネでは、1000人当たり120人の子供が5歳前に命を失う。5歳未満 の子供の死亡率が最も高いサハラ以南のアフリカでは、先進国の約12倍に達する子供が5歳になる前に死 亡している。 ジーノ・ストラーダ博士には固い信念が一つある。「治療を受ける権利は、最も基本的なもので、譲る ことのできない人類普遍の人権」であるというものである。彼は1994年に国際緊急医療団体である‛エマ ージェンシー(Emergency)‘を設立した。2016年現在、エマージェンシーは、アフガンとスーダンなど16 カ国で60以上の医療施設を運営し、これまでに800万人以上の命を生かしてきた。 彼は人権意識の高揚に先頭立ちもした。2008年の公共医療に対する認識が希薄なアフリカ12カ国(中央 アフリカ共和国、チャド、コンゴ民主共和国、ジブチ、エジプト、エリトリア、エチオピア、ルワンダ 、シエラレオネ、ソマリア、スーダン、ウガンダ)政府から国民の無料医療福祉を約束する‛医学に基づ いた人権‘の署名を受け取ったのが代表的である。2007年南スーダンに世界最高水準の心外科センターを 建設しており、専門家の治療を担当する11個のセンターを構築している。最近では、ヨーロッパで急激 に流入する難民救援活動だけでなく、反戦キャンペーンを積極的に展開している。この時代の優れた人 道主義者として広く知られるジーノ・ストラーダ博士はノーベル平和賞候補としても挙げられている。
女性の教育の実践家、サキーナ・ヤク―ビ 「人々が潜在能力を花咲かせる姿がとても素晴らしいです。愛と信頼と誠実さをもって彼らと共にいた いです。」 サキーナ・ヤク―ビ博士は、女性に対する差別がひどいイスラム社会で「少女を教育することは、未来世 代を教育すること」という革新的な考えで、女性教育に邁進した教育家である。彼女は戦争で廃墟とな ったアフガニスタンの難民キャンプで‛教育‘によって、難民の再定住の解決策を提示した。 ヤク―ビ博士は、中流階級だった親のおかげで、幼い頃から教育を受けることができた。しかし、限りな く戦争が続く故国の道で毎日女性たちと子供たちが墓へ行く姿を見守った。結局、彼女はアフガニスタ ンの女性のために、医師になろうと決心した。彼女は医学部を合格しましたが、アフガニスタンには、 女子学生寮がなかった。そうして、父の勧めによって、1970年代にアメリカのカリフォルニア州へ留学 した。 学業を終えて故郷に帰ってきた彼女は、体系的な難民の教育のために、1995年に‛アフガン学習研究所 (AIL・Afghan Institute of Learning)‘を設立し、1300万人の難民たちに教育と職業訓練を提供してきた。 特に彼女は、女性教育が厳しく禁止されているタリバン政権下でも命をかけて、約80個の秘密学校を運 営しながら、3000人の少女たちを教育してきた。ユニセフ韓国委員会によると、2013年を基準に全世界 で小学校に行かなかった子供5900万人のうち、52%である3200万人が若い女性だ。また、全世界で文章 を読めない15〜24歳の人口1億1500万人のうち59%が女性である。ところで、このような女性教育の代表 的な不毛地域がアフガニスタンである。 鮮鶴平和賞委員会は、彼女がイスラム女性の人権と社会的地位を大幅に向上させた功労を高く評価した 。現在、彼女は、国連をはじめとする国際社会で難民危機解決の専門家として活躍している。ヤク―ビ博 士は、2005年に国際原子力機関(IAEA)事務局長を務めたエジプトのエルバラダイがノーベル平和賞を 受賞したときに候補に上がったことがある。
ホンイルシク鮮鶴平和賞委員会委員長は、「第二次大戦以来、最も多くの被害者と直面している今日 難民危機は、この時代の非常に重要な平和問題として扱われるべきであり、世界の市民は、人類を一つ に結ぶ人間らしさという価値を再び思い出し、感動的な国際的連帯と協力で、この問題を解決する必要 がある」とし「グローバル難民危機が日増しに深刻になっている現時点で、第2回鮮鶴平和賞受賞者は、 被害者の生活を根本的に再構築するにおいて、最も基礎的な人権である‛医療権‘と‛教育権’の保障に先頭 立ったこの時代の偉人」であると.... [詳しい記事を韓国語で見る] |
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