Title | [週間韓国] 日本統治時代と南北統一を見つめる日韓大学生の‘善良な’視線 | |||
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Date | 2014-07-14 | Hit | 7837 | |
File | etc0120140706124000.jpg [183kb] |
日本統治時代と南北統一を見つめる日韓大学生の‘善良な’視線
抗日遺跡ㆍ白頭山を振り返って
安重根義士裁判所と死刑場の復元...「世界平和主義と東洋平和論の接点をみつけながら」
「相手を理解しようとする努力で、人がまず一つにならなければ」 日韓学生たち「考えを共有できて近くなれました。」 「南北統一、北東アジアの平和に寄与したいです。」 日韓関係が冷え込む中、最近民間レベルで意義深い交流活動が行われた。天宙平和連合(UPF)、日本の平和統一連合、天宙平和士官学校(UPA)が共同で主催した「日韓青年指導者、平和統一祈願大遠征」がそれだ。日韓両国の大学生の青年31人が去る6月28日から7月3日までの5泊6日間、中国の抗日遺跡と白頭山などを踏査して、過去を振り返り、未来を準備する「疎通」の場が開かれた。
踏査に参加した韓国と日本の学生たちは、ほとんどが世界平和統一家庭連合(統一教会)の宗教的伝統の中で生まれ育った若者たちだ。家庭と純潔を強調する統一教会の教義に基づいて酒、タバコを一切しない。日本側の学生は、ほとんど中級以上の韓国語を駆使する点も印象的だった。彼らのうちの何人かは、合同結婚式を通じて誕生した韓日家庭の二世たちで、他人に迷惑をかけない日本人の良さと情熱的な韓国人の品性を同時に受け継いでいた。統一教会は、婚姻関係で結ばれることが葛藤と紛争を解決し、平和を成す近道だと強調している。このように結ばれた韓日家庭が、現在までに1万家庭、約5万人に達するという。これらの若者たちが将来、韓国と日本の友好促進に寄与する存在になるだろうことは簡単に予測できる。
戦争と日本統治時代の傷が残る旅順監獄
中国政府は、韓国人と日本人の旅順監獄の見学をわずか5年前に許容した。それほど日本が中国に与えた傷が大きい場所である。1907年から日本の敗戦時まで日本に抵抗した多くの独立運動家、罷業の主導者がここで労役、殴打、拷問を受けた。日中戦争末期にはソ連軍の進撃を控えて「大量虐殺」もあった。特に旅順監獄は、安重根、イ・フェヨン、シン·チェホが殉国した所としてよく知られている。
踏査チームは、安義士が殉国したこの場所で、献花と黙祷の時間を持った。清州教大のイ・ワンギュ(20)学生は「中国人もできなかったことを韓国人がしたことに自負心を感じた」とし、「安義士は、刑務所で看守からさえも至極な尊敬を受け、裁判当時にも世界が注目した人物だったと知られている。死ぬ直前まで祖国を懸念する献身精神が胸に響いた」と感想を語った。続いて、
「ここで700人の受刑者が処刑されたと聞いて、我々が知らなかった多くの犠牲者がいることを知った」と付け加えた。
去る1992年に発足した旅順殉国烈士記念財団(理事長ホン・イルシク)は、旅順刑務所内に殉国した安重根の銅像と単独展示館を設置して、ハングルの案内板を取り付けるなど、安重根を称える事業を積極的に推進してきた。最近になって安重根が裁判を受けた旅順関東裁判所の旧地を買い入れて法廷を復元した。
鮮文大学北東アジア学科に在学中の森川太倉(21)君は、「ここであの歴史上の人物が、人生を終えたというのが奇異だった。安重根について小学校の時に学んだので、より心に響いた」とし「今後、南北統一と関連した仕事をしたい」と抱負を明らかにした。森川君は、韓国人の父と日本人の母の間に生まれた2世で、日本で航空宇宙工学を専攻したが、南北統一に力を添えたいという夢を持って韓国に留学し、鮮文大学の3年生に編入して学生生活を送っている。 |
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